水平思考の覚書

本来の自分の軸は「企画屋」さんなので、アイデアを練る作業というのは恐らく自分が行っている全ての仕事や遊びの立脚点にあると思われる。で、その時に最も使っているのが水平思考だったりする。

もちろん、水平思考で思いついたアイデアは後に実際に使えるようにするために、さらに垂直思考へとつなげて深いところへ下げていくんだけど、基本的な考え方としてはアリの巣のように思考を縦と横に広げたり掘ったりの繰り返し。ゴール地点は深い所にあると決まったわけじゃない。

この水平思考という言葉自体は自分では20年くらい前から、つまりマジシャンとして活動し始めたころから使うようになっていた。これは師匠の影響。いま考えると水平思考という言葉の響きだけで、あの頃は感覚的に処理していた気がする。今は具体例を含めて多少は説明できるようになっているような気がする。ま、説明する気はあんまりないんだけど。

wikipediaでは、水平思考を「 問題解決のために既成の理論や概念にとらわれずアイデアを生み出す方法である。」としている。エドワード・デ・ボノが1967年頃に提唱したらしい。具体例もせっかくなので引用しておく。

問:グラスAとグラスBにそれぞれ同じ量のワインと水が入っているものとする。まずグラスAからスプーン1杯分の液体を取り出し、グ ラスBに混ぜる。それからグラスBからスプーン1杯分の液体を取り出しグラスAに混ぜる。この作業をさらにもう1度行った後、グラスAの中の水の量と、グ ラスBの中のワインの量ではどちらが多くなるか。

垂直思考ではグラスAの中の水の量とグラスBの中のワインの量をそれぞれ具体的に求めるため、最初のワインおよび水の量とスプーンで運ばれる液体の 量をそれぞれL,xとおき、さらに水やワインの濃度を考えるなど、複雑な計算が必要となる。しかし水平思考では量を求めるという考えにとらわれず、「ワイ ンと水の量の合計は操作の前後で変わらない」ということに着目することで「同じ」という結論に容易に達することができる。

引用ここまで

これはどちらが正解とか不正解ということではなく、問題に対してどのような思考でアプローチするのかということが焦点。水平思考で考えると、どちらもスプーン1杯分移動しただけだから、おんなじじゃね?と考えてみたりできるが、正確に考えれば水とワインの濃度云々となる。

自分が何かのアイデアを生み出す時は、えてしてそのビジネスにまったく関係ないところをソースにするケースがすごく多い。それは時には関連性があるけれど、時にはまったく関係がなかったりする。

これをベースとして、GAPや、これからやろうとしている事に関係している水平思考のベースになった話を書いておいたり。これが上手いこと日記としても機能してたら勝ち組なんだけどw

Drama in May
5月のドラマは「BONES S1(再)」「CSI S2(再)」「Las Vegas S4」「Lie to me S2」あたりを録画しながら見てる。ついでに借りてきて見終わっていない「Without a trace S5」とか「Burn Notice S2」とかも。

これらの物語の設定は、ラスベガス、DC、マイアミ、ニューヨークなど。面白いのは町並みの映し方。もちろん監督の演出によるところはあるんだけど、同じ町並みでも、町の持っている特性によってより印象に残る映し方がある気がする。
ラスベガスなんかは広めの画角で横からの映像が多い。ネオンが派手だったり通りに一直線にホテルが並んでいるので奥行きのある映像が印象に残る。
一方でニューヨークなんかはビル街がメイン。派手なネオンもないけど、Without a traceのヘリで真上からまっすぐ下にとる手法は非常にニューヨークのきっちりした印象がダイレクトに伝わってくる。ずーっと観ているせいかもしれないけど、すごく「ニューヨーク」っぽい。
マイアミなんかは躍動感のある取り方をするのをよく見る。ハワイと映像は似てるけど、マイアミの方がパンが速かったり、カット割りが多め。

同じ町並みを見せるにしても、その町の特徴を意識することで異なった見せ方があるというお話。

たとえば、同じゲームをテーマにしてイベントを提供しているんだけど、これも考えようによっては見せ方を変えることによって異なる雰囲気やプレゼンテーションが可能なんじゃないの?と考えてみる。ただテーブルがあってカードがあって、チップがあって、ゲームのルールがある。これでは特色が出てこない。特色が出る方法は一方的な押し付けだけではないんだけど、少なくともコンセプトなき提供者に特色はでないよなーとか。

ちなみに考えなくても特色が出る人はいっぱいいます。おいらはダメダメなので脳で処理して特色を生み出さなければいけないのです。このアイデアはここからもうちょっとだけ水平思考させてから垂直に落としていきました。

Difficult order
めっさ面倒くさいオーダーを承る。この手の問題は下手うつと恨まれるんだけど、依頼主がやすやすと断りにくい人だったので、渋るそぶりなど微塵もみせずに受けることに。とはいっても専門的知識が必要な話だったので、その手の詳しい人を探すのに半日費やすことに。何人かにあたってみて、最も安心できる人経由で紹介してもらうことになったんだけど、内容とかその他の問題で仲介者が多いとトラブルにもなりやすいので、知人を依頼主に紹介して、専門家を紹介する1回目だけやってもらい、以降は依頼主と専門家でやりとりできるように依頼。

こういう時に依頼主と専門家をいきなりヨーイドンでつけるのは難しい。自分と依頼主、自分と仲介者、仲介者と専門家には関係が存在してて、そこには一定量の信頼関係があるけれど、スタートの時点では依頼主と専門家にはないわけだから、そこは最低限のコネクティングは必要。
一方でつなげる作業をしたあとに、それ以上そこに滞在し続けるのは手間と時間ばかりかかるわけだから、作業導線はシンプルにこしたことはない。

そこで考えるのは、ユーザーと、そのユーザーに興味をもって欲しい何かをつなげる作業も基本的には同じ考えに基づけるということ。興味を持ってもらう入口は多少の複雑さ・・・というか手順の多さは必然で、それをいかに後半シンプルにするかということ。もちろん手順の多さは煩雑さではなく、あくまでも必要な手順である必要はあるんだけどね。近しい考え方として、結局全体で見ればやってることは複雑だけど、実際の当事者はこの一部分だけ見ることで楽しめるようにする、とか。

とまあ、日々起きていることなんかも、けっこう思考の対象になってたりして、誰もいないときにブツブツいってたり、ボーっとしてたりするときは大体こんなこと考えてたりします。