朝から活動する予定がちょっとだけ起きるの遅くなってしまい、一部予定を移動させてから始動。
書類が近所で取れると思いきや、まさかの向こうじゃないと即日発行してあげないわよ!ってツンだったので、しょうがないので電車でえっちらほっちらと事務所経由してから恵比寿まで移動して書類作成。受け取った足でそのまま有楽町で逢いましょう。そういえば丸井側がリニューアルしてから見てなかったんだけど、極一部をのぞいてなんか小奇麗になったのね有楽町って。
昔から、有楽町駅と、昔の阪急までの空間って、すごい銀座っぽくなく、丸の内らしさも皆無なカオスな感じが好きだったんだけど、すっかり小奇麗になってオシャレさんな町の入口になってしまっていてびっくり。ま、おいらが使用することはほとんどないから、いっか。予定通り有楽町での申請は終えて、1週間後に再訪予定。
ちょっと気になったのでコピペ(元々コピペテキストなので出典がわからんw)
ときは8月、黒海沿岸の町。雨にぬれる小さな町は活気がなく、すっかり寂れていた。
人々は借金を抱えて苦しい生活をしているのだ。その町へ、一人の旅人がやってきた。そして町に一つしかないホテルに入ると、
受付のカウンターに100ユーロ紙幣を置き、部屋を選ぶために2階へ上がって行った。
ホテルの主人は100ユーロ紙幣をひっつかんで、借金返済のために肉屋へ走った。
肉屋は同じ紙幣を持って養豚業者へ走り、100ユーロの借金を返した。
養豚業者はその紙幣を握ると、つけにしてある餌代と燃料代を払うために販売業者に走った。販売業者は100ユーロ紙幣を手にすると、この厳しいご時世にもかかわらず、つけでお相手をしてくれる
町の遊女に返そうと彼女のもとに走った。遊女は100ユーロ紙幣を懐にしてホテルに走り、
たびたびカモを連れこんだホテルに借りていた部屋代を返済した。ホテルの主人は、その100ユーロを受け取ると、紙幣をカウンターの元の位置に置いた。
ちょうどそのとき、部屋をチェックして2階から降りてきた旅人が、どの部屋も気に入らないと云って
100ユーロ紙幣をポケットにしまいこみ、町を出て行った。誰も稼いでないけど、町中の誰もが借金を返し終わり、町は活気を取り戻した。
2chで見つけた叙述トリックコピペから抜粋。ちなみに叙述トリックというのはミステリ小説において、文章上の仕掛けによって読者のミスリードを誘う手法。具体的には、登場人物の性別や国籍、事件の発生した時間や場所などを示す記述を意図的に伏せることで、読者の先入観を利用し、誤った解釈を与えることで、読後の衝撃をもたらすテクニックのこと。(はてなキーワードから引用)、まあ、このコピペの文章が叙述トリックなのかと言われると違うんだけど。
全員がぐるっと一周借金している状態で入ってきた100ドルが最後に消えているから不思議に思いがちだけど、全員が誰かに対して貸しも借りも100ドルあったため、全員が負債を負っているように見えるけど、実は貸借で相殺すると誰も金を借りていない状態だったという話で、ホテルにやってきた100ドルはそれを全員が理解するトリガーだっただけで、そもそも100ドルはなくてもいい。まあ、ホテルのオーナーはせっかくの客が出ていっちゃったけど。
叙述トリックは読者が後から「あッ」と思うことで、なんとなくマジックに似ているように見えてあまり似ていない。ところがマジックにおいて叙述的な現象を使用することはちょいちょいある。
演技の前に、その演技と関係ないような感じで出してきたペットボトル(もしくはその前のマジックで使っていり)に、あとあとお客さんが選んでサインしてカードが入るというマジック。実際の演技において、ペットボトルに触れることはなく、そこに現象を持ってくるのは叙述的と言えるんだけど、個人的にはこれではちょっと片手落ちな気がする。もっと科白をふんだんに使用してマジックに関係しているように見えるけど、そういう使い方をするとは思わなかった的な現象にすると面白いと思うんだけどね。小説なんかを読む人が「お、この感じはマジックだけど小説的な印象を受ける」なんてことで思わず「ニヤリ」とさせるのもマジックの面白さではないかな、と。
意識的にやっていた訳ではないけれど、自分の最盛期に見せていたマジックにはそういう素因が沢山、意識的に織り込むようにしてたかも。科白廻しにしても、普通の言葉の羅列に見える中で、きづいた人だけが面白い言葉遊びだったり、マジックの構成だったり。見る人の意識や知識レベルで同じマジックで同じインパクトを受けつつ、ちょっと違う見え方というか感じ方ができるように。そういう変なこだわりが、某師にとって「マニアックで」「一部の人にしかうけない」「玄人向け」の演技の一端を担ってたかもね。ま、どうでもいいけど。
金曜日。仕事が終わると僕は仲間と飲み歩き、
お金を使いまくったあげく仲間の家に泊まり、2日間帰宅しなかった。
日曜の夜になってやっと家に帰ると、妻が仁王立ち。たっぷり2時間説教をしてから、妻は言った。
「ねえ。もし何日も私の姿が見えなかったら、あなたどう思うの?」
「そりゃうれしいさ!!」そんなことを言ったため、月曜日は妻の姿が見えなかった。
火曜日も水曜日も、やっぱり姿が見えなかった。
木曜日になってようやく、まぶたのはれがひきはじめたので、僕は妻の姿が見えた。
不覚にも日曜のランチに続いて、月曜の夕飯も中華、しかも4号店ではなく3号店へ(笑)味は一緒だった。値段も一緒だった。